第2回 揺れる「一都二市論」

香港と深センの「合併論」浮上/深セン有利、香港は犯罪率増に
経済一体化も社会問題が壁/「40年後」見据え、青写真必要に


深セン市内の蓮花山にある巨大なトウ小平銅像。香港の方向を向いて歩いている姿だ

 深セン市内の蓮花山。その頂上に「改革・開放の父」と呼ばれる故・トウ小平氏の巨大銅像が建立されている。マントを着て歩き出そうとする銅像の方向は、香港を向き、そこから見渡す深センの町並みは近代的な高層ビルが建ち並び、急発展する経済特区が「実験通り成功している」(深セン市改革弁公室の南嶺主任)ことを見せつけている。

 だが、トウ氏は、「一国二制度は二つの側面がある。一つは、社会主義国家内に特殊な地位の資本主義を数十年間から百年認めることであり、もう一つは国家主体は社会主義であることを確定させることだ」「資産階級の自由化思想を持つ人は中国大陸が資本主義に変わる完全西欧化を希望するが、これでは思想的に片手落ちであり、一国二制度は数十年変わることはない」(「トウ小平文選」第三巻)と述べるにとどまっている。

 トウ氏は生前、「私の最大の望みは生きて一九九七年を迎えることである」と述べ、香港の祖国回帰を自分の目で見ることを切望していたが、九七年二月十九日、願い半ば、九十二歳で死去。一九九七年七月の香港返還後、「一国二制度」下の五十年間を経て香港がどう変貌するか、隣接する深センが経済特区として急発展し、香港との関係が最終的にどうなるか、明確な回答は出さなかった。

 高さ六メートルの巨大なトウ小平像の台座には江主席の揮毫(きごう)「トウ小平同志 二〇〇〇年十月一日」が刻まれ、献花が絶えない。その後ろの記念碑には「深センの発展と経験は経済特区政策が正しかったことの証明」というトウ氏の名言も刻まれている。像の前で手を合わせて合掌する四川省成都から来た戴淑華さん(51)は「トウ小平のおかけで庶民の生活は豊かになった。深センが欧米並みの近代都市になり、香港とも自由に行き来できれば、結果的に内陸部の発展にもつながるので感謝して手を合わせた」と話す。

深セン市内の蓮花山にある巨大なトウ小平銅像の前で手を合わせて祈る人々

 返還十年の節目を迎えた香港や隣接する深センでは両都市の合併論が巻き起こっている。深セン市社会科学院の楽正院長は「両都市の一体化は貿易大国、産業大国として国力強化のけん引役になるだろう」と述べ、深セン市政府は合併論に決して否定的ではない。

 深センのフォーラム用ウェブサイト「深セン論壇」では「深セン市を香港政府の管轄下に置いた方が良い」との意見が今年に入って書き込まれて以降、賛否をめぐり激しい論争が展開されている。賛成側の意見は「深センの発展に有利」「給与水準が上がる」「香港人の愛人の地位が合法的に保障される香港が返還されて中国領土になったので、法的には(合併論を)禁止できない」など深セン側から見たプラス要素が中心。反対意見は「香港も深セン同様に犯罪率が高まりかねない」「香港はまず、自らの問題をはっきりさせるべきだ」「深センへの投資構造(外貨の闇両替など)に悪影響」など、深センの「影」の部分を憂慮している。

三月十九日、深セン市政治協商会議第四期三次会議の開幕式で石礼謙氏ら三人の香港立法会議員(いずれも香港の政治協商会議委員)が深センの治安問題について「犯罪率を低下させるために農民工(

トウ小平銅像のある蓮花山から見渡す深センの発展ぶり

出稼ぎ農民)の居住証制度を強化して外来人口を抑制してほしい」との共同提案を行った。三氏は「深センの流動人口は一千百万人。戸籍人口は二百万人で犯罪件数の九割が流動人口から生まれている」と犯罪統計から分析しており、医療介護、進学、不動産賃貸契約などの権利を有する新しい「居住証」制度を開始することで生活保護を一切受けなかった農民工(出稼ぎ農民)の犯罪率低下を防ごうという提案だった。
 四川省から農民工(出稼ぎ農民)として深セン市内の建築労働者になった劉三平さんは「多くの犯罪は生活が切迫して発生している。政府が農民工の民生問題を解決できれば、治安は確実に好転する」と居住証制度推進のメリットを見通す。

 香港と中国本土の経済貿易緊密化協定(CEPA)による香港と深セン市の経済一体化が進む中、都市社会学者のリチャード・フロリダ米カーネギーメロン大学教授は、香港と深センが将来、新概念で合併した都市圏「香セン(=土ヘンに川)」を出現させると大胆予想。中国都市経営協会の王廉会長も「政治制度が変更不可能でも、社会管理規則や制度融合を実現することは可能」と分析し、擬似的な両市の合併によって制度の違いを超克できるとの「一都二市論」を提唱している。

深セン中心部の最新スポット「万象城」付近

 王会長によると、都市経営理論で世界一級都市と認められるのはニューヨーク、ロンドン、東京の三都市で「香港は単独ではこれに並ぶ条件を備えていない」。だが、香港と深センが一つの大都市圏になると、その面積は約三千平方キロメートル、人口約二千万人、域内総生産(GDP)は約二兆元(三十兆円)となり、人口や面積ではニューヨーク、ロンドンを上回る都市になるとして「一都二市論」の価値を説明する。

 実際、〇五年三月に開催された中国人民政治協商会議全国委員会(全国政協)で香港の政協委員が香港と深センの合併議案を正式に提出。土地開発に限界がある香港にとって、深センとの合併は土地不足や就労問題を解消し、高齢化問題解決にも一助となるという内容だった。

深セン市内の蓮花山にある巨大なトウ小平銅像。銅像の前で手を合わせて祈る人々も

 だが、合併すれば深センから大量の労働力が香港に押し寄せて平均労働賃金が下がったり、香港人が深センの不動産購入に走ることで地価高騰による混乱が予想され、広東省の全国政協委員らが猛反発。議案は提出するだけにとどまった。

 これに先立ち、深セン市政府は香港との間で金融、交通、産業、教育分野にわたって相互補完関係を築いていく「深港合作圏」構想を〇五年二月に発表。科学技術協力の「深港創新圏」も始動している。広東省内でも広州市と隣接する仏山市の合併論、汕頭(スワトー)市など広東省東部四都市の合併、マカオと珠海市の合併などが浮上し、経済特区と大都市との合併は香港を取り巻く中国内の都市合併論議に拡大する様相だ。四十年後の二〇四七年七月、「一国二制度」の期限が切れる香港は深センと合併する道を行くのか、具体的な「青写真」が必要な時期に入ってきている。(深セン・深川耕治、写真も)