第3回  香港経済の未来

頼みの綱は中国本土の支援/「愛国商人」が本土支援を下支え
上場の中国企業、市価総額が急増
本土進出の製造業、強制移転も


香港進出の中国企業トップたちが集まる新春酒会でマイク・ロウズ香港投資推進局長に「よろしく頼む」と肩をたたく王永平香港工商科技局長と秦暁香港中国企業協会長(中央)

 七月一日、返還十周年を迎えようとする香港は返還直後のアジア通貨危機、〇三年の新型肺炎(SARS)流行などによる経済低迷期を乗り越え、再び活況を取り戻している。香港経済は過去三年間、不況脱却から回復基調に入り、株式市場は返還後に七〇〇〇ポイント台まで下がったハンセン指数が昨年、過去最高値を更新。初めて二万ポイントの大台を突破した。今年は経済成長率はやや鈍化する見込みだが、今年は返還十周年の節目に当たるため、中央政府による新たな支援措置が打ち出されることに期待が高まっている。

 「過去三年、われわれは百十社を超える中国企業が香港で投資活動を行うことをサポートしてきた。今後五年間、さらに着実に中国企業数は増えるだろう」。三月末、香港進出の中国企業トップたちが集まる新春酒会で香港投資推進局のマイク・ロウズ局長は笑顔を振りまいた。

 香港投資推進局は香港特別行政区政府の中で海外から香港への投資拡大を呼び込むために〇〇年七月に新設された部局。香港と中国本土の間で〇三年六月、CEPA(経済・貿易緊密化協定)が締結されて以降、とりわけ中国本土からの投資を積極推進している。

人民元の業務拡大が香港で認められ、香港中心部で人民元両替商の宣伝チラシをまく人

 英国人だったロウズ局長は返還後、香港初の中国籍外国人公務員となり、投資推進局の初代局長として外国企業の香港投資拡大に責任を持ってきた。宗主国だった英国が撤退しても香港政府高官として残った珍しいケースといえる。同局は米国、日本、台湾、欧州などからの投資拡大にも力を入れるが、最大の得意先は中国本土企業だ。

 中国商務省の統計によると、〇六年、香港で開業した中国企業は二百八十二社(総計二千社超)で、投資総額は二十億米ドル(二千四百億円)を突破した。香港証券取引所で上場された中国本土企業は現在、三百六十八社で上場した中国企業の市価総額は〇六年が三千八百四十九億香港ドル(五兆七千七百三十五億円)。前年比九四%増という驚異的伸びだ。

 李鵬元中国首相の長女・李小琳・中国電力国際有限公司総裁など中国高官の子弟が名を連ねる香港中国企業協会の秦暁会長はロウズ局長に対し、「香港は中国企業が世界に打って出るための重要な国際商業都市。香港を利用してアジア太平洋地域での優位性を保ち、国際市場で飛躍できる」と応じた。

 香港は六〇年代、中継貿易から繊維工業を中心とする製造業へ転換、八〇年代は製造業から金融・物流センターへの転換を経て珠江デルタ地域を中心とする華南地域との経済一体化が進行している。

人民元両替所は香港の至る所にある

 香港財界人は中国広東省や文化大革命を逃れた上海出身者、中国各地からの移民組が多い。たとえば、個人資産一兆四千億円を誇るアジア一の大富豪、長江実業の李嘉誠総裁は福建省に近い広東省潮州出身で花売りから身を立てた。香港財界には潮州出身者が多く、潮州商工総会を創って本土とのネットワークを構築。当局の許可を受け、病院や大学も建設しているほどだ。同様に広東省各地の出身者が同郷会を作って中国本土の各地との人脈、資金の流れを毛細血管のように張り巡らし、華僑・華人ネットワークは東南アジアからアフリカ、欧州、北南米に至るまでグローバルに広がり、中国本土へ資金還元している。

 中台貿易の現状に詳しい黄天麟元台湾総統府国策顧問は「故郷への愛着が人一倍強いのは香港財界人も同じ。中国政府は、根っこが中国人である愛国愛港の香港財界人を中国本土に積極的に投資させる戦略だ」と中国本土との経済的つながりが緊密化して切っても切れない関係にさせようとしていると指摘する。これは台湾企業の大陸進出と共通する方策だが、台湾と違うのは、熱心な「愛国商人」が香港返還後、中国本土と香港の仲介役に徹し、中国政府への忠誠度を増している点にある。彼らは返還直後のアジア通貨危機や新型肺炎(SARS)騒ぎで景気低迷した際も中国本土による救済策に全面協力している。

 昨年十月死去した親中派財界人の代表格、霍英東(ヘンリー・フォック)氏はその典型的人物だった。故・トウ小平氏とも親交が深かった香港の「愛国商人」。返還の香港政治の主導権も「商人治港」(親中派財界人による統治)が続いており、中央政府に絶対的な忠誠を尽くす親中左派の政財界人が数多く下支えしている。

香港のハンセン指数や株価動向を示す電光掲示板

 中国企業が香港への投資を加速させる一方、香港企業の中国本土への進出状況は異変が起こりつつある。七九年、中国が改革・開放政策を開始して以降、香港の製造業は深センや珠海など珠江デルタ地域に次々と移転。製造業拠点は九〇年代前半までに中国本土移転が進み、香港工業総会の発表によると、広東省には現在、香港系企業が五万五千二百社が進出し、約九百六十万人の労働者を雇用している。近年ではサービス業の進出も顕著だ。

 しかし、中国広東省政府は近年、環境保護対策を理由に珠江デルタ地域から広東省の他地域への香港企業移転を強行している。〇六年以降、同地域に進出していた香港系企業が環境汚染防止を理由に生産許可を更新できず、移転や営業停止に追い込まれ始めた。同地域に進出した約八万社の香港系企業のうち半数以上が珠江デルタから徹底し、開発が遅れる広東省内の他地域や他省への移転を強いられそうだ。

 香港返還の前後は、香港の自由主義経済・政治システムが一党独裁の中国内部に変革をもたらして統制を内側から崩壊していくとの「トロイの木馬」論が、楽観論として存在したが、「中国の香港化」よりも「香港の中国化」の方が着実に進みつつあり、「トロイの木馬」論は影を潜めている。

 英領時代の香港は古典的なレッセフェール(自由放任政策)に徹し、香港政庁は政府規制を極力押さえ、低い税率を維持するなど過剰な経済への介入を避ける「積極的不介入」政策に徹した。しかし、香港の曽蔭権(ドナルド・ツァン)行政長官は〇六年九月の経済サミットで積極不干渉を否定。香港政府主導の財政策が景気を左右する状況に変化し、レッセフェール政策は色あせ、中国依存の経済・金融体制が再構築されつつある。(香港・深川耕治、写真も)


【香港経済の最近の動き】
1997年7月  香港返還
1997年7〜10月 アジア通貨危機がバブル経済下の香港経済を直撃し不動産下落でデフレに
1998年 香港経済、初のマイナス成長
2001年 米同時多発テロの影響などで経済成長率が〇・六%にとどまる
2003年3〜7月 新型肺炎(SARS)の発生で観光、ホテル、運輸、飲食業など香港経済が大打撃(香港の感染者348人、死者299人)
2003年6月 香港と中国本土の間でCEPA(経済・貿易緊密化協定)が締結
2005年 香港ディズニーランドの開園などで観光業関連で約一万八千人の雇用創出、経済成長率7%を超える
2007年1月 中国政府の認可で中国金融機関の人民元建て再建発行が可能に