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2004年11月10日記(深川耕治)

訪中して回良玉副首相と会談した台湾の許信良元民進党主席

 12月11日の台湾立法委員(国会議員)選挙に無所属の立場で立候補している中、11月8日、「両岸農業交流団」の団長として訪中、中国国務院台湾事務弁公室の陳雲林主任や回良玉副首相(農業担当)と会談した。党籍がないとはいえ、与党・民進党の元主席が訪中し、これだけの高レベルの人物と会談するのは異例だが、台湾メディアは、いつも突飛な行動で耳目を惹こうとする許氏の訪中を大きくは取り扱わなかった。

 民進党主席に二度も就任した経験を持ちながらも、中国政策では現実味の薄い「大胆西進」などのスローガンを提唱し、中国寄りに転換。国民党との合作を主張し、古巣の国民党からも民進党からも失笑を買った。

 最近では、10月24日、台北市内の繁華街のビルの壁面にトウ小平の写真と本人を並べて「加速西進、一統中国」と記した大型看板を掲げ、新党並みの中国寄りの主張が瞬く間に波紋を広げ、わずか一日で撤去した。

 最近の香港誌のインタビューでも「『一つの中国』に台湾が同意するのは英国がEUに加盟するのと同様の意味を持つ」と述べ、両岸の「亦独亦統」(独立でもあり、統一でもある)の独自理論を繰り返し主張しているが、連戦国民党主席がかつて提唱した邦聯制に似通っている部分もあり、野党側の有権者を意識した主張が目立つ。国民党と親民党の早期合併を求め、その動きを渋っている宋楚瑜親民党主席を批判。野党連合の結束を固める影の存在となるか、微妙なところだ。

 桃園県で客家人として生まれる。台湾政治大学政治系を卒業後、国民党中山奨学金で英エジンバラ大学へ留学。国民党中央本部で青年政治改革運動に専念し、73年、台湾省第5期省議員に当選。77年に国民党から無所属となり、桃園県長に当選。美麗島事件をきかけに十数年間、海外で亡命生活を送り、当時、仏教徒となって坊主頭になった。その後、台湾にもどろうとするが、89年、反乱罪で懲役十年を言い渡される。

 1990年、特赦で出獄し、91年、第五代民進党主席に就任し、西進論を主張する理論で自著「新興民族」を出版。第六代民進党主席は彭明敏氏が就任して敗れたものの、第七代党主席に返り咲き、九九年、民進党を出て無所属の立場で2000年、総統選挙に出馬して敗れた。

 鍾碧霞夫人との間にもうけた2人の息子は北京大学に留学。63歳。