中国メディア批評
2003年11月29日記

中国:自らの伝聞による誤報や意図的な煽動報道を反省しないメディアの無責任ぶり

◆対日新思考の動き
 昨年十一月の第十六回中国共産党大会で胡錦濤総書記(国家主席)を中心とする第四世代の指導部が発足して一年が過ぎた。江沢民前政権に比べ、対日関係改善の動きが国内の研究者らの論文などによって徐々に促され始めているが、反日歴史教育が根強い中国内では対日新思考を唱える少数の学者らを激しく非難する体質は容易に変わりそうにない。
 長期的に見て、若干、期待できるのは、胡総書記が第三世代指導者に比べ、近親者が日本人に殺りく・弾圧された筋金入りの反日、抗日感情が薄らいでいることだ。たとえば、江沢民中央軍事委員会主席は叔父・江上青が反日戦線に尽力した末、国民党系の部隊に殺された苦い過去を持ち、訪日時、日本の中国侵略問題を繰り返し言及したことは記憶に新しい。
 これに比べ、胡総書記の場合、父親がお茶の卸売り販売を手広く行って富豪となっていたが、一九三八年、日本人から各店舗の財を強奪され、家財をなくして母親の実家・江蘇省泰州市内に身を寄せ、四二年に胡錦濤氏が生まれている。その後の文化大革命で、資本家が厳しく自己批判させられたが、胡家は家財をなくしたために労働者の「成分」と見なされ、胡錦濤氏は一年間だけ水利電力部で肉体労働を行う程度で、文革の難を逃れている。
 胡氏にとって、日本人に家財を強奪された屈辱は消えないにしても、搾取する側の「資本家」とのレッテル張りはされず、順風満帆な党内エリートの経歴を持てたのは「不幸中の幸い」となったのである。
◆頑迷な反日報道体質
 西北大学(陝西省西安市)の日本人留学生による「わいせつ寸劇」が反日デモに発展した事件では、事件収束後、手のひらを返すように対日重視外交にシフトしつつある胡錦濤政権の意向を反映、中国メディアや中国系香港紙が中国側学生の行き過ぎた行動を逆批判する社論を次々と打ち出し、変わり身の早さが浮き彫りになった。党中央が江沢民前政権時代からの“反日世論”への修正に少しずつ動きはじめているようにも見えるが、根本的に「反日=愛国」をあおる中国系メディアの体質は改善されるか、強い疑問の余地が残る。
 たとえば、中国系香港紙「文匯報」西安電(十月三十日)では、寸劇を行った日本人学生がブラジャーを着けて腰に生殖器に似せたものをつけ、「見よ、これが中国人だ」と書いた紙を掲げていた、と事実無根の誤報を流し、結果的に反日デモをあおった。
 新華社電も陜西省教育庁報道官の話として「赤いブラジャー、下腹部には紙コップをつけ、紙くずを観衆にまいて下品な舞踏を演じた」と報じ、西安市民の反日感情を一挙に噴き出させた。他の香港各紙も同様の報道を行い、中国の民主化を推進する北米拠点の中国語情報サイト「多維新聞」は、さらに尾ひれを付け、「日本人学生はブタの面をかぶり、体には『みにくい中国人』と書かれていた」と事実と反する誤報を流し、あきれ返るほどの反日体質であることを露見させている。
 これらの中国系メディアの報道が、日本人学生三人と教師一人が大学の文化祭で演じた「わいせつ寸劇」を数千人規模のデモに発展させ、中国人学生らが留学生寮に押し掛け、事件と関係ない日本人留学生二人を殴りつけて負傷させる“蛮行”までエスカレートさせた。デモでは「日本人をレイプせよ」「日本製品の不買を」などを掲げ、西安市内の日本料理店が破損被害に遭うなど、常軌を逸する行為まで発展。メディア自らの伝聞による誤報、意図的煽動報道が反日デモの元凶でありながら、猛省するどころか、中国側学生の行為を批判する無責任ぶりは社会的公器としての使命を見失っている。
◆改革始まるメディア
 今後、中国メディアに問われるのは事実報道のあり方だ。良い兆候としては、十一月に入り、北京でタブロイド紙「新京報」や「瞭望」週刊社(新華社管轄)の週刊誌「瞭望東方週刊」が相次いで創刊されたことだ。「新京報」は知識階層の読む「光明日報」が広州タブロイド紙「南方都市報」の程益中編集主幹(38)を編集長に抜てきして創刊したもので、他の官営メディアにない事実報道が売り物。「瞭望東方週刊」も非主流派の執筆陣が河北省の民営企業家・孫大午氏の逮捕劇について事実報道を先行させ、評価が高まっている。胡錦濤時代のメディア改革は始まったばかりで、対日関係の報道改善はその延長線上の重くて長い道程に含まれている。
(深川耕治 2003年11月29日記)