中国関連記事 特選

2008年12月18日記 最新中国株情報 WINTRADE


  • 見出し一覧(戻る)
  • 香港情報
  • 台湾情報
  • マカオ情報
  • 中国指導者 WHO'S WHO









不況直撃、産業転換に苦しむ広東省 改革開放30年
春節前の民工リストラ、政府憂慮

広東省トップ、求心力に陰り
改革開放の先駆、社会不安高まる
大卒者200万人就職できず


 
12月18日、中国は改革開放30周年を迎えた。経済発展のシンボルであったはずの広東省では、米国輸出型の労働集約企業が相次いで倒産、賃金未払いのまま経営者が夜逃げし、怒りが頂点に達した従業員によるデモや暴動が頻発して苦境に立っている。解雇された出稼ぎ労働者は早めに帰郷し、春節(旧正月=今年は一月二十六日)が過ぎても地元や都市部で職が見つからない事態となれば、社会がさらに不安定化する危険をはらんでいる。(深川耕治、写真も=08年12月18日記)

改革開放30周年を迎えた広東省深セン(土ヘンに川)。「党の基本路線は百年間揺るがない」と書かれたケ小平氏の巨大肖像画前で記念撮影する人々=深川耕治撮影
 広東省では08年以降、労働契約違反や給料の遅配・欠配といった労使紛争の仲裁申請や訴訟が急増している。広東省労働保障局によると、広州市では08年1〜11月に申請された労働争議の仲裁申請は前年同期比2倍の6万件超。仲裁機関では申請件数に対して裁判担当職員数が不足しており、仲裁は来年9月まで順番待ちの状態だ。

  同省で10月、生産停止や廃業に追い込まれた中小企業は合計8513社。単月で1―9月の累計(7148社)を上回り、大半が電機・機械部品、紡績、建築材料など低付加価値品を生産する小規模メーカーが中心だ。

 広東省税関部門が発表した同省輸出入総額は08年1月〜11月で前年同期比10%増の約6312億米ドル。しかし、11月期は10月より13ポイント下がり、米輸出依存の紡績業は30〜40%減で深刻な事態に陥っている。上海も今年11月の輸出入総額は454億米ドルで昨年同期比で9.7%減。過去7年で最大の下げ幅となり、広東省だけでなく、浙江省、福建省、上海、北京など沿海部の省・市で金融危機の経済打撃は深刻化している。

広東省仏山市順徳区に新しくお目見えしたケ小平像と黒猫・白猫象。ケ氏は生前、この場所に二度訪れており、黒猫白猫論が改革・開放のシンボルであることを示している
 清華大学国情研究センター主任の胡鞍鋼教授は「対外開放の輸出政策を実行してきた広東省の輸出依存度は90%に達し、全国平均の3倍だ。金融危機は広東省にとってきわめて深刻なダメージとなっている」と分析する。解決法として「内需拡大を強化する中央の政策を利用し、旧来型の発展モデルをやめて地道な産業転換を続けるしかない」と指摘する。

 胡錦濤国家主席の出身母体・共青団(共産主義青年団)出身である広東省のトップ汪洋・広東省党委書記(党中央政治局員)(53)は「立ち後れた企業は淘汰(とうた)されて当然。産業を高度化するためには、他人が何を言っても、独自の道を行く」と述べ、中央政府が旧来型の企業保護に力を入れる指導をしていることに対して地方の生き残り優先で対抗する姿勢を鮮明にしている。

 同省政府は中小企業支援策として今年、100億元(1400億円)余を投じる決定を行い、軽工業品や繊維など旧来型の労働集約型企業から産業シフトのため、高度化した企業へ転換させる促進政策を強化。転換できない企業は切り捨てる動きが加速している。

 香港各紙によると、同省政府は省内メディアによる企業倒産、リストラ報道を禁止。同省は伝統的に中央政府へ玉虫色の報告しかしないため、11月以降、党指導部は温家宝首相や習近平国家副主席ら政治局常務委員を次々と同省へ視察に送り込んでいる。

 旺洋氏(写真左)は上海市長、海峡両岸関係協会会長などを務めた故・汪道涵(おう・どうかん)氏を伯父に持ち、江沢民前国家主席ら上海閥との関係も良好だ。朱鎔基首相(当時)のブレーンでもあり、経済政策通。高付加価値の産業転換しか広東省の経済再生の道はないとの考え方で首尾一貫している。広東省トップに就任当初は旧来の地元利権を優先する同省幹部から冷遇された旺洋氏だが、「産業転換を断行するには失業者増はやむを得ない」と表明しており、旧来の米輸出依存による労働集約型中小企業の淘汰は避けて通れないとの立場は不変。産業転換策による大胆な経済構造改革を推進する決意は固い。中央と地元官僚の板挟みの中で「痛み」を伴う「第二の改革・開放」に向け、難しい舵取りを強いられている。

 一方、若者の就職難も深刻だ。米国発の世界金融危機で中国の大卒予定者約200万人が就職できず、路頭に迷うことになりそうだ。今年前半、原油や日常生活品の物価が急騰した上、9月からの金融危機で国内企業の大半が経営不振の直面、リストラや新卒受入枠縮小を余儀なくされている。

 中国社会科学院が発表した予想統計によると、08年末までに高卒者約100万人が就職できない状態に陥り、今年卒業予定の大卒者約610万人のうち、3割強にあたる約200万人が就職できないまま超就職氷河期に直面するとしている。

香港の曽蔭権(ドナルド・ツァン)行政長官と会談する旺洋広東省党委書記(右)
 中国では昨年上半期だけで少なくとも6万7千社が倒産。胡錦濤国家主席は今月の中央経済工作会議で「わが国の就業状態は非常に厳しい。社会安定の確保を行うべきだ」と述べ、遼寧省営口、瀋陽などの一部企業と研究所を視察して同様の発言を繰り返している。

 上海で開かれた五大学共同の就職説明会では文系の職種が減り、外資系や大型国有企業の求人が減少していることが特徴。企業側は金融危機による就職難を理由に低賃金条件で優秀な大卒者を獲得することに奔走している。就職超氷河期に突入し、大卒予定者の中には「住居、食事だけ提供してくれれば、給与ゼロでもかまわない」「最も重要なのはできるだけ早く就職口を確保することだ」との考え方で内定を企業側から得るケースもあるという。

 07年秋から株式市況は急落、不動産バブルも崩壊し、今年11月にはタクシー運転手の待遇改善ストが広州を含む全国各地に拡大。土地立ち退きをめぐる農民と地方政府のトラブルも絶えない。農村から都市への出稼ぎ農民(民工)は二億人余りで都市部の工場や建設現場で働いているが、輸出企業の生産が減少し、内需の落ち込みも顕在化しており、働き場が大幅に減っている。春節前の帰省ラッシュが始まり、出稼ぎ農民が春節を終えた後、就職口がない人々が農村部や都市部であふれかえる事態となれば、社会不安が確実に増す。

 米国発の世界金融危機で米国輸出型企業が集中する広東省や上海周辺の長江デルタ地帯では企業倒産による失業問題が深刻化。春節期間が終わり、二月中旬になっても大都市部へ職探しに奔走する出稼ぎ労働者が再就職口を見出せない状況が続けば、都市部を中心に大規模な暴動が頻発して社会不安が高まる「二月危機説」が現実味を帯び始める。三月の全国人民代表大会開幕を控え、北京では年末から警官の休暇を取りやめ、北京五輪直前の厳戒態勢維持が六月まで継続される見込みだ。

 しかも、2009年は中国にとって政治的に節目の年。ダライ・ラマ十四世のインド亡命五十周年(三月十日)、法輪功の中南海陳情事件十周年(四月二十五日)、学生中心の反日愛国運動である五四運動九十周年(五月四日)、大学生らによる民主化運動を軍事弾圧した天安門事件二十周年(六月四日)、建国六十周年(十月一日)と目白押しだ。中国誌「財経」(電子版)によると、広東省、浙江省、江西省の農民工(出稼ぎ農民)の動向を現地調査した結果、企業経営や農民工の就業にとって最困難な時期は春節後から五、六月までとしており、節目の事件記念日期間と重なっている。

 中国政府は4兆元(56兆円)の景気刺激策で地方の公共事業に力を入れるが、「地方政府の利権に利用されるだけで内需拡大の効果があるのか疑問」(香港紙「蘋果日報」)との批判もある。「中央対地方」の利権確執が激しい広東省が経済構造改革をいかに進めて経済危機を乗り越えるかが、綱渡り状態になった胡錦涛政権の経済政策是非を評価する試金石となりそうだ。

【「改革・開放」後の主な経済指標の変化】
30年間の経済指標変化 1978年→→→2007年
国内総生産(GDP)   3645億元→→24兆9530億元(68倍)
1人当たりGDP     381元→→→→1万8934元(50倍)
輸出入総額       206億j→→→2兆1738億j(106倍)
都市住民平均可処分所得 343元→→→→1万3786元(40倍)
農民平均純収入     134元→→→→4140元(31倍)
(1元=約13円、1ドル=約89円)


【改革開放30年の歩み】
1949年10月 中華人民共和国成立
1976年9月  毛沢東死去
1977年7月  ケ小平の全職務回復
1978年8月  日中平和友好条約締結
1978年12月 中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(三中全会)で改革開放を打ち出す
1979年1月  中国軍がベトナム国境へ進攻。米中が国交樹立
1979年7月  経済特区の設置決定。深セン、珠海、汕頭、アモイを順次指定
1982年12月 人民公社の解体を決定
1985年5月  ケ小平氏が兵力100万人削減計画を表明
1985年6月  人民公社の解体完了
1985年9月  日中経済協力で建設された上海宝山製鉄所の1号高炉が稼働
1987年11月 第13回党大会で党総書記に趙紫陽氏就任
1989年6月  天安門事件が発生。趙紫陽総書記が解任され、江沢民氏が新総書記に
1992年1-2月 ケ小平氏が南巡講話を行い、改革開放の促進を主張
1992年10月 中国共産党第14回党大会で改革の目標は社会主義市場経済と決議
1997年2月  ケ小平氏死去
1997年7月  香港返還
1997年9月  第15回党大会で「ケ小平理論」を党の指導思想に入れる
1999年12月 マカオ返還
2000年3月  西部大開発を国家プロジェクトに指定
2001年7月  北京五輪招致成功
2001年12月 中国が世界貿易機関(WTO)に加盟
2002年11月 第16回党大会で胡錦濤氏が党総書記に就任
2003年3月  胡錦濤国家主席、温家宝首相体制が発足
2003年4-6月 新型肺炎(SARS)が流行
2003年10月 初の有人宇宙船「神舟5号」打ち上げ
2004年9月  江沢民氏が党中央軍事委主席を引退。胡錦濤氏が「科学的発展観」提唱
2005年4月  北京や上海などで反日デモ
2005年7月  人民元2%切り上げ。管理変動相場制へ移行
2007年10月 第17回党大会で「科学的発展観」を党規約に明記
2008年5月  四川大地震が発生
2008年8月  北京五輪開催
2008年12月 改革開放30周年


【改革・開放路線とは】
 中国共産党が1978年12月の第11期中央委員会第3回全体会議で決定した路線。安徽省小崗村の農業改革を手始めに、都市部では深セン(土ヘンに川)などを経済特区に指定。「改革・開放の総設計士」とされるケ小平氏が1992年に深センなどを視察して回った「南巡講話」で、社会主義市場経済への移行は一気に加速したが、ケ氏が狙った政治改革は天安門事件で動きが大きく鈍った。中国は1978年時点で世界最貧国の一つだったが、30年間で国内総生産(GDP)は68倍に増え、世界第4位。貿易総額は104倍に増え、、世界3位。外貨準備高は世界一で経済大国に躍進した。一方で、経済発展に取り残された農村部も多く、環境破壊による汚染は深刻化しており、都市部でも交通渋滞、電力不足など深刻な問題を抱える。官僚の汚職、腐敗は蔓延しており、田畑を奪われて強制退去させらた民衆、不満を抱く農民による暴動、ストが各地で拡大している。改革開放はケ小平の先富論(先に豊になる者から豊かになれ)が極端な形で歪みを起こし、光の部分よりも陰の部分が深刻化しており、政権護持のために社会安定最優先である胡錦濤政権にとって手放しで成功といえない厳しい立場に立たされている。

 




最新中国株情報 WINTRADE

日本に居ながら、中国IPOを100%ゲットする方法