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2010年12月17日記


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海外の民主活動家、連携へ糸口
劉氏平和賞受賞で一歩前進
天安門事件追悼へ新潮流


 
ノーベル平和賞受賞後も中国で投獄され続ける民主活動家、劉曉波氏に対し、中国の一部メディアが祝賀をにじませる報道をして中国当局の神経を尖らせている。平和賞授賞式典では中国政府が国内支援者の出国を阻止し、各国が参加することすら圧力を加える一方、海外の民主活動家約50人がオスロに集まり、分裂気味だった海外民主活動家の連携が来年の天安門事件追悼に向けて一歩前進した。(深川耕治=2010年12月17日記)

分裂低調な流れ変わる
一部メディア、言論弾圧でも呼応


12月11日夜、オスロ市内では松明を持って約500人が劉曉波氏の釈放を求めるデモ行進を行った。参加した香港の民主派立法会議員の李卓人氏(左端)、何俊仁氏(左から2番目)、劉慧卿さん(左から3番目)など香港からの参加者が前面に立った
 中国の恫喝外交でノーベル平和賞授賞式に出席しなかったのはフィリピン、サウジアラビア、パキスタンなど18カ国。同授賞式後、中国当局は国内の民主活動家に対して徹底した監視と情報封鎖を一部緩和し始め、外部との連絡が取れるケースも若干出てきた。

 劉氏の友人で〇八憲章に署名した北京の浦志強弁護士や李蘇浜弁護士など、ごく一部は外部との連絡が可能となり、ノーベル平和賞授賞式のニュース映像が真っ黒に遮断されていたBBCやCNNなど海外メディアも中国内での放送が正常に戻った。

 しかし、劉曉波氏の妻、劉霞さんは携帯電話すら使用できないまま北京市内で軟禁状態に置かれ、来年一月末まで軟禁が継続する見通し。劉曉波氏の弟・劉曉喧氏も電話連絡が取りにくく、メディアによる直接取材は不可能な状態が続く。支援者らは劉霞さんら劉氏の身内が出国した際の受入準備もしようとしているが、当局の監視は当分続くため、視界不良だ。

12月10日、オスロで開かれたノーベル平和賞授賞式
 米国に本部を置くキリスト教人権組織「対華援助協会」によると、ノーベル平和賞授賞式前後、中国内では北京の著名憲政学者でキリスト教徒の範亜峰氏やその夫人を含め、北京、上海、貴州省、広東省などで当局から拘束されたまま行方が分からないケースが増えている。

 一方、ノーベル平和賞報道に関する党中央宣伝部の事前検閲が厳しい中、独自報道で検閲をかいくぐろうとする動きが見え隠れするのが、当局批判旺盛な言論文化が伝統的に根付く広東省だ。

 広東省の週刊紙「時代周報」(最新号)は掲載した「影響力のある時代100人」に汚染粉ミルク事件で被害者家族代表として政府に補償を求め、社会秩序破壊罪で懲役二年半の実刑判決を受けた趙連海氏や劉曉波氏の妻・劉霞さんの親友である崔衛平北京電影学院教授を選出し、即刻、広東省宣伝部は同号の回収とネット上での内容完全削除を行った。

ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏を暗に支持したとの見方が出ている12月12日付の中国紙「南方都市報」
 さらに広東省の人気タブロイド紙「南方都市報」(12月12日付)は1面トップに空席の椅子の写真を掲載。ノーベル平和賞授賞式に出席できなかった劉曉波氏を象徴しているとしてインターネット上で話題となった。

 写真は広州市内のアジア・パラリンピック競技大会リハーサル風景を撮影したもの。中国当局の弾圧で服役を余儀なくされた劉氏のために授賞式で用意された空席の椅子を想起させ、写された椅子3脚と鶴5羽、青い平らなじゅうたん、調教人の手で「平和賞」に似せた発音になる。その暗喩を解明したと自慢するネットユーザーたちは「党宣伝部を巧妙にかく乱させた逸品」「よくぞ、やってのけた」と評価は高まるばかり。間接的な当局批判の意味合いがあるとしても、決定的な証拠材料にはならず、当局としては人事圧力や監視強化しかできない。

 ノーベル平和賞の授賞式が行われたノルウェーの首都オスロでは世界各地の中国人民主活動家約50人が一堂に集まり、授賞日前日の9日、オスロの中国大使館前で劉氏釈放を求める抗議デモを展開。11日、中国の民主化と憲政実現を目指す「オスロ宣言」を採択し、連携強化を確認した。

天安門事件当時、学生リーダーだった柴玲さん。米CIAの手助けで米国亡命後、米国人と結婚し、企業経営者となっているため、かつては他の民主活動家からの非難もあった
 一連の行事に参加したのは、在米の天文物理学者で天安門事件当時の知識人指導者だった方励之氏、同事件で人民解放軍の戦車にひかれて両足を失った方政氏、事件当時の学生リーダーだったウアルカイシ氏、事件後に米国へ亡命した学生指導者の柴玲さん、香港の民主活動家など著名な民主活動家ばかりだ。

 だが一方で同事件の民主化リーダーだった在米活動家の魏京生氏は「非暴力だけでは中国を変えられない」と否定的コメントを出して参加しなかった。海外の民主活動家にとって「民主」「自由」への思惑が分散するガラスのような脆さがアキレス腱であることを物語っている。

 1989年6月の天安門事件以降、海外に散らばった中国人民主活動家らは、中国共産党一党独裁打倒という反体制のみが共通で、民主化についての路線は四分五裂。対立も複雑化して結束力は、むしろ失いつつあった。毎年6月4日に天安門事件犠牲者の追悼大会を行っている香港でさえ、同事件に対する風化現象は止まらず、海外との連携はなかなか進まない厚い壁だ。

12月10日夜、香港の中心部・セントラル(中環)の公園で開かれた劉曉波氏釈放を求める抗議集会
 柴玲さんはオスロで開かれた民主化討論会で「ここに集う全員が劉氏を思い、彼の精神を一生涯、忘れずに脳裏に刻む。この授賞式がなければ新たな連携、結束、求心力は生まれなかっただろう」と感涙しながら訴えた。

 参加者の大半は、長年、海外の民主活動家の足並みがそろわず、活動家同士の路線対立や不和を反省し、和解と結束を促す機運が生まれたことを評価している。逆に海外民主派勢力の分裂衰退を願ってきた中国当局にとっては大きな懸念材料だ。

 11日夜、オスロ市内では零下2度の厳寒の中、民主活動家ら約500人が「劉曉波氏を釈放せよ」「中国に人権を」とシュプレヒコールを挙げ、松明を掲げて行進。香港から授賞式に訪れた蘋果(りんご)日報など反中メディアを創刊した黎智英ネクストメディア総裁や民主派立法会議員の李卓人氏、何俊仁氏、劉慧卿さんらも欧州在住の参加者と合流し、中国民主化の拠点である香港の活動家が国際的な連携を得る機会となった。

 分裂気味で低調だった海外民主活動の新連携が生まれたことで、劉曉波氏家族の出国手配準備や来年の天安門事件追悼日に向けて国際的なシンポジウムを準備するなど新潮流が醸成されつつあることは結束強化への着実な一歩となっている。