中国メディア批評
2004年11月14日記

広東省党委と南方都市報、確執続く 中国
報道の自由規制、個人の政治的権利まで
党籍はく奪、戸籍すら抹消 編集長解任へ動く


 中国の言論統制は最近、一向に衰える気配を見せない。むしろ、中国の将来を憂う知識人、記者らを容赦なく締め上げる状況が続いている。

 天安門事件の再評価を求める書簡を党指導部に送ったとされる中国人民解放軍三〇一病院の元外科主任医師・蒋彦永氏(写真右=香港の今年七月一日の民主化要求デモで蒋彦永医師の釈放を求める香港人=深川耕治撮影)が六月四日の天安門事件十五周年記念日直前に公安当局から拘束され、四十九日間、軟禁状態に置かれたことや、中国メディアを管理・監督する最高機関である党中央宣伝部の言論封殺の実態を克明に浮き彫りにした「中央宣伝部を討伐せよ」との論文を書いた焦国標・北京大学新聞伝播学院助教授(写真左)が政府や大学当局から厳しい圧力をかけられていることは海外メディアでも大きく取り上げられた問題だ。

 蒋彦永医師は中国衛生省が新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)の感染状況を情報隠ぺいしていたことを告発し、当時の衛生相や北京市長を解任に追いやった人物で、医師の良心を貫いた英雄的存在。

 焦助教授もメディアに関する膨大な論文を発表しながら、わずか一つだけの論文「中央宣伝部を討伐せよ」が友人を介してウェブ上に紹介されたことで、一気に海外に翻訳され、大反響を起こした。発表されたウェブサイトは即時閉鎖。新学期が始まった九月、北京大学で本人が講義する予定だった講座は大学当局から認められず、大学院研究生指導教官のポストも失った。

 香港や中国本土では「江山易改、本性難移」(世の中は移ろいやすいが人間の本性は根本的には変わらない)という故事を引用し、派手に政府を批判する人物に対して一般大衆は注目するが、政府は騒ぎを起こす人物を封殺して安定した社会を最優先するという意味合いでアイロニーとしてよく使う。

 比較的言論統制が緩やかとされていた広東省でも、同省トップの張徳江党委書記が三年前に着任して以降、地元メディアと党機関の確執が激化し始め、中国では稀有な自由報道体質だった広州紙「南方都市報」が、北朝鮮の金日成大学留学経験を持つ張書記の逆鱗に触れた。まさにこの故事通りの言論封殺は執念深く続いている。

 南方都市報は広東省党委員会機関紙「南方日報」報業集団(写真右=深川耕治撮影)傘下のタブロイド朝刊紙で一九九七年に創刊され、発行部数百四十万部、社員約三千人。理不尽な社会矛盾やスキャンダルに対して徹底した事実報道で評価を高め、広州市で居住許可証不携帯を理由に警官から連行された青年が精神病院に収容された上に集団暴行を受けて死亡させた「孫志剛事件」を独占報道。政府が動いて事件関与者の起訴や処分まで発展し、高い評価を得た。

 同紙編集長、程益中氏が手腕を買われ、昨年十一月に北京で創刊された「新京報」紙編集長に就任したほどだ。しかも、同紙は昨年二月、広東省のSARS情報を隠ぺい・統制した張徳江広東省委書記に対し、対策責任の不備があったことを衛生次官のコメントとして報じ、逆に張書記から同掲載紙の回収処分を受け、応酬合戦をヒートアップ。南方報業集団の系列紙も同様の報道理由で報復人事を受け、かたくなな情報統制を敷く広東省トップを追及するマスコミとして地元公安当局から徹底マークされ、針のむしろのような状態となった。

 広東省政府は南方日報報業集団の幹部二人を汚職容疑で逮捕し、広東省人民検察院(写真左=深川耕治撮影)の起訴状通り、懲役刑が確定。程編集長も拘束されたが、海外メディアの猛烈な批判にさらされ、証拠不十分で釈放された。

 だが、程益中氏は十二月二十二日、南方日報創刊五十五周年記念式典の直前、中国共産党員の党籍を正式にはく奪された。これまで広東省党委員会は二度にわたって南方集団に圧力を加え、程氏の党籍はく奪と同紙編集長ポストの解任を申し入れたが、南方日報報業集団側は拒否。すでに広州公安当局は程氏の広州での戸籍を抹消し、外堀を埋めて、南方集団内にある党委員会で程氏の党籍はく奪を強引に認めさせ、最終的には同紙編集長のポストすら解任させる腹づもりで動いている。

 居住許可証不携帯を理由に暴行を受けて青年が死亡した「孫志剛事件」をスクープした程氏が党籍や戸籍まではく奪されて編集長ポストを失いかける憂き目に遭おうとは、何とも悲劇的応酬の結末である。(04年11月14日記、深川耕治)