香港月刊誌「開放」カバーストーリー 
―2004年8月号―                 香港誌「開放」ウェブサイトへ

温家宝首相、渦中の栗を拾う
マクロ経済修正論と幹部政治闘争
 中国共産党は九月、第十六期四中全会を開くと発表した。党内闘争と重大な決断は正式会議前に解決すべきものだが、これまで毎夏、北戴河会議が注目を集めていたものの、今年は胡錦濤・温家宝体制になって北戴河会議の取消を正式宣布。北戴河は党指導部や党政機関の単なる休息地と化し、北戴河会議の非公式中央工作会議は八月に行われなかった。(香港誌「開放」04年8月号カバーストーリー要約=深川耕治)

 七月二十三日、普陀山(浙江省東北部・舟山群島の東南部に位置する小島で五台山、峨眉山、九華山と合わせて「中国四大仏教名山」と呼ばれる。開山したのは日本僧の慧萼)を訪れて参拝した江沢民中央軍事委員会主席は約一時間、住職と密談した。七月二十二日、江沢民氏は軍事演習を行っている東山島へ行き、陸海空軍の兵士らを閲兵。今回のこの動向は中国共産党メディアは一切報じず、極秘扱いだったが、江氏は中国の軍隊の指揮権が自分にあることを党内に顕示させ、台湾武力侵攻の決定権を掌握していることへの軍内部への士気を最高度に高めた。

 七月二十三日、普陀山を訪れて参拝した江沢民中央軍事委員会主席は約一時間、住職と密談した。七月二十二日、江沢民氏は軍事演習を行っている東山島へ行き、陸海空軍の兵士らを閲兵。今回のこの動向は中国共産党メディアは一切報じず、極秘扱いだったが、江氏は中国の軍隊の指揮権が自分にあることを党内に顕示させ、台湾武力侵攻の決定権を掌握していることへの軍内部への士気を最高度に高めた。

 しかし、江氏は七月二十二日の一日だけしか軍幹部と接見せず、同二十三日、普陀山に行って参拝、焼香した。

 トウ(登ヘンにオオザト)小平氏の死去後、江氏は過去一度だけ普陀山を訪問して参拝している。その時の逸話は重厚で、李鵬氏も参拝したが、副門から入り、江氏は今回の参拝で正門から入った。伝えられるところでは、乾隆帝が巡行中、普陀山を訪れた際、一日だけ私的に参拝し、再び夜遅く同山にもどってきたが、和尚は正門を開かず、副門から招き入れた。普陀山の規定では、重大な仏事や法会以外は正門は永遠に開かず、副門から出入りすることになっているが、江氏はその規定を破った。

 江氏は正門から入った後、大門、副門、後副門などを全部閉門させ、だれも入ることを許さず、住職と約一時間密談した。今回の普陀山参拝は二度目だが、軍事大権の一大決定は住職や菩薩によって救われるかのように見える。

 四月、温家宝首相は中国内のマクロ経済調整を全面遂行するよう指示を出した。六月二十三日、中国審計署(会計検査署)の李金華会計検査局長は全国人民代表大会常務委員会報告で各部局、国有企業、国有銀行、金融機構などの違法数値操作行為を列挙し、メディアに「会計検査スキャンダル」と称せられるようになった。李金華局長は「これらの提示内容はわれわれが公布したものではなく、政府のものであり、(温家宝)首相のものだ」と公開表明した。

 1993年、朱鎔基副首相(当時)がマクロ経済調整を行おうとした時、地方や企業の強烈な反発が起こり、朱氏の岳母が長沙市で人身売買に遭って殺されるなど、朱氏個人は極めて深刻な傷害事件の犠牲となった。当時、温家宝氏は党内穏健派と呼ばれ、中国内で1993年から2004年までの期間、非市場経済は盗人経済(国外評価)として発展、中央政府のコントロール能力は徐々に弱まり、実際に管理できるのは国有企業だけの状態に陥ってしまった。温家宝氏への管理圧力は当時の朱鎔基副首相の比ではない。

 シンガポール紙「ストレーツ・タイムズ」によると、七月十日に開かれた中国共産党中央政治局会議の席上、江沢民氏の息のかかった上海閥である陳良宇上海市委書記は「マクロ経済調整が江蘇省、浙江省など東部地域の省市で悪影響を及ぼしており、とくに上海の発展に影響を及ぼして全国に波及している」と指摘した。陳良宇氏は温家宝首相にこうした警告を発し、もし、マクロ経済調整を続けるならば、これによる経済的政治的責任を負うべきだ、と突き上げている。

 トウ小平氏は広東省に経済特区を創り、上海の浦東特区などで優遇政策を採った。江沢民氏は西部大開発を提起し、胡錦濤・温家宝政権は東北地方の古い工業区の再振興を提唱、即刻、抵抗勢力によるマイナス圧力が加わっている。

 胡錦濤・温家宝政権が力を入れる東北三省(吉林省、黒竜江省、遼寧省)は広東省や上海のような活況を呈せず、政策力の弱さによる資金不足を自覚しており、改革開放に乗り遅れた代価の大きい重災区だ。国有企業とその社員たちの代償は最大のものがあり、失業人口の生活圧力などはきわめて深刻。あらゆる問題が山積して軍や武装警察を派遣せざるを得ない状況(地元官僚らの腐敗もさらに深刻)だ。

 中国審計署(会計検査署)の水増し数値告発危機の結果、国家体育総局がオリンピック委員会資金で宿舎や事務用の建築物を建設しようとして実際は流用している事実関係をチャイナ・デーリーが告発し、公開謝罪。問題となっている四十の問題部局は一ヶ月間で何の対応もせず、「政府への印象に多大な損害を与えた」とメディアは書き立てた。

 最も深刻なのは、七月一日付の広州紙「二十一世紀経済報導」で温家宝首相の長男、温如松氏が香港上場企業の平安保険の馬明哲会長から七十三億六千万香港ドル分の株式を受け取ったと報道されたことだ。報道の自由がない中国で地方紙がこういう挑発的な記事を載せるには重大な背景があるはずだ。

 朱鎔基氏が五百億元を先行投資させて手がけた南水北調工程も結局、直接現場で指示することができず、地方政府の汚職防止と地方利益の狭間で妥協せざるをえず、清廉潔白な官僚の引退のイメージにグレーゾーンがつきまとっている。

 本来、六月に起きた改正検査署の水増し数値告発危機はマクロ経済調整の一助になることは難しく、逆に温家宝首相自らが火中の栗を拾う状況に逆転してしまった。

 さらに、七月十二日付の中国共産党機関紙「人民日報」一面トップには任仲平重要評論員の署名記事「再び二十年!わが国の改革発展の鍵となる時期を論ず」が波紋を広げてしまった。文言は胡錦濤総書記の重要精神である「新三民主義」を述べているものだが、胡総書記よりも温家宝首相の色彩が色濃く出てしまっていた。

 「再び二十年!」のタイトルは明確な意味を持ったもので、今世紀初頭の二十年間は第十六回党大会で提出したもので、最初の十年は胡錦濤・温家宝体制による十年とその後の影響を持つ十年の意味だ。80歳になる江沢民氏は「私の時代ではない」と話す。

 「再び二十年!」は思想界、理論界、メディア出版界でいろんな影響を及ぼしている。胡錦濤総書記と温家宝首相は政治コンビとしては微妙に違う。彼らの政治経歴が性格を物語っており、胡総書記は十年間、帝王学を学ぶ期間があった。トウ小平氏ら老幹部の前ではおとなしく慎ましい用心深さを心得、決して逸脱するような言動はなかった。もちろん、大胆な行動もできるわけがなかった。

 胡錦濤総書記の直系ブレーンは兪可平中央編訳局副局長、夏勇社会科学院法学所長兼中央政策研究室副主任、外交顧問である王輯思社会科学院米国所長、農村問題顧問の于建栄社会科学院農村所長、康暁光清華大学国際研究室主任の五人だ。五人の思想はやや保守的で、胡錦濤総書記が選択すべき政治課題は「マルクス主義生命工程」だ、と主張している。彼らが意図しているのは二十一世紀に再びマルクス主義を再振興させ、未来の政治上、強硬派に転化して毛沢東の相続人とさせることだ。

 温家宝首相は国際的な評価としては胡錦濤総書記を上回っている。米紙「ウォールストリート・ジャーナル」では温家宝首相のことを「胡耀邦、趙紫陽、江沢民時代の中央権力機構に最も長くいた人物。朱鎔基前首相の薫陶を受け、総理になった」と持ち上げている。

 ただ、温首相は今年三月の全人代、全国政治協商会議(政協)の二大大会後、政治局で「胡錦濤総書記による党中央をもって」と提言し、本人直接の決定権は制限されている。マクロ経済調整だけは例外で、これは朱鎔基副首相時代の1993年と同様、自らの致命傷になりかねず、行政手段は市場経済手段ではなく、中国の基礎産業の調整であることを心に留めるべきだ。
(香港誌「開放」04年8月号カバーストーリー要約=深川耕治)