マカオ関連記事  1999年12月21日記


■■ 沈みゆくマカオ ■■ 中国返還の光と影(4)
黒社会大ボスに15年の刑
何行政長官、カジノ利権めぐる抗争をどう収拾?

 「マカオは黒社会同士の抗争はあっても一般市民が巻き込まれるほど危険な地域ではあり
ません。ただ、あの男だけは要注意」――市庁舎に隣接するセナド広場近くの商店主・許祐人
さん(四八)は率直にマカオの治安状況を話す。「あの男」とはマカオ黒社会(暴力団)最大派
閥「マカオ十四K」のボス、「崩牙駒(歯欠けの駒)」と恐れられる尹国駒(四四)のことだ。 

 マカオ法院(裁判所)は十一月二十三日、その尹国駒被告に懲役十五年の実刑判決を下
し、マカオ市民の心を安堵(ど)させた。カジノの利権をめぐって第二勢力の「水房」と血で血を
洗う抗争を繰り返して勝ち、高利貸しやマネーロンダリングで巨万の富を手に入れた大物。裁
判官が「懲役十五年」と判決を言い渡すと、尹被告はおもむろに被告人席の木製イスに乗りか
かり、「お前たちはおれの体を豚肉みたいに切り刻むのか。証拠もなく罪を着せ、世紀の大冤
(えん)罪ではないか」と警察官たちに向かって大声で怒鳴りあげた。 

 尹被告率いるマカオ十四Kは構成員約一万人を擁し、カジノの利権や高利貸し、密輸などで
巨額の資金を集め、潤沢な軍資金を元手に不良青年たちを取り込んで黒社会の最大勢力に
のし上がった。 

 九八年五月一日、尹被告はマカオ警察からマカオ政庁高官に対する連続テロを命じた容疑
などで逮捕され、「マカオ最大の黒社会事件」と検察当局が形容するほど中国返還直前の最
大懸案事項となっていた。 

 以来、一年半。通常マカオでは逮捕から判決までに二カ月もかからない。これほど異例の時
間を要したのは、マカオ当局が報復を恐れた以外に、マカオ政庁自体が黒社会と水面下でが
っちりと癒着している背景があるからだ、といわれる。 

 尹被告は一年半の拘置期間、コロアネ監獄で厳重に隔離された生活を送っていたが、「山頂
別荘」と市民たちが揶揄(やゆ)する尹被告の留置場所を検分したところ、膨大な数の無線機
器やテレビ、携帯電話などが発見され、公安関係者と黒社会の結びつきの深さを示した。 

 尹被告を含む十人の被告のうち、一人の無罪を除き、九人が懲役五年半以上の実刑判決
を受けた。尹被告の弟も懲役五年半。同日、マカオに隣接する広東省珠海でマカオ十四K幹
部・葉成堅被告ら三人が死刑を宣告され、即日執行された。翌日も尹被告の軍師役ら二十二
人が懲役刑になった。 

 尹被告は十年後に仮出所が可能になる。現在も十四K内の急進派は尹被告の国外逃亡に
よりマカオ十四Kの崩壊を食い止めることを主張している。返還後はマカオ基本法に基づいて
尹被告への処遇がいっそう厳しくなる可能性が高い。十四Kのあとマカオ黒社会を制するのは
水房会、勝義会、大圏か、それとも香港最大派閥・新義安か混とんとしている。 

 「熱烈歓迎 人民解放軍」の横断幕を自営店前に張った貴金属店主・李国権さん(五二)は
「一日も早く人民解放軍が来て治安を良くしてほしかった。崩牙駒(尹国駒)の跡目争いに歯止
めをかけるのは軍しかいません」と話す。二年前に店のすぐ近くで黒社会抗争による爆弾テロ
が発生し、売り上げが激減した李さんは「結局、力には力で制圧するしかない。一般市民の大
半が治安安定のために人民解放軍の駐留を歓迎している点は香港市民の反応と全く違う部
分でしょう」という。 

 だが、一方では何厚カ初代マカオ行政長官と親しい旅行会社社長は「マカオ行政長官は黒
社会との“共存”で手を打ち、返還前のマカオ政庁幹部へのテロ行為のような“副作用”はな
い。問題は人民解放軍が力でのみ黒社会をねじ伏せようとする動きだ」と中国側の動きに首を
かしげる。 

 何行政長官は五月の行政長官選挙で圧勝して以来、大好きなゴルフでも一人の護衛官が同
行し、行政長官に就任すれば常時三人の護衛官がつく。ゴルフ仲間には「護衛官など一人も
必要ない。問題は解決済みだから」と自信満々に漏らしている。 

 何行政長官は広東省番禺市生まれ(本籍はマカオ)で「マカオ王」と呼ばれる有力財界人・何
賢氏の第五子。カナダのトロント大学を卒業して会計士業などを営み、結婚して一男一女がい
る。八三年に父・何賢氏が病床に臥(ふ)したことでマカオに帰って父親の業務(マカオ大豊銀
行社長)を引き継いだが、銀行が経営難で倒産の危機に瀕し、中国銀行の融資で息を吹き返
した。 

 何氏は中国の全国人民代表大会(国会に相当)常務委員と同時にマカオ特別行政区準備委
員会(主任・銭其チン副首相)の副主任を務めるなど、中国政府とつながりが深い。父・何賢氏
が文化大革命時代、熱烈な毛沢東主義者であったことは有名で、父親の事業を継いだ何厚カ
氏が徹底して「親中派」といわれる理由は中国銀行からの融資だけによるものではないことは
父親の思想的背景でも明らかだ。 

 何氏が初代マカオ行政長官候補として注目されたのはマカオ紙・澳門(マカオ)日報や香港
紙・大公報などの親中国系紙がマカオ返還準備委成立式典を伝える記事で何氏だけをクロー
ズアップした写真を一斉に掲載したことがきっかけだ。香港の董建華行政長官も行政長官候
補になる前、中国側の特別扱いを受けて本命デビューを果たしたのと似ている。 

 何氏にとっても、マカオのカジノ利権をめぐる「攻め」の中国側と「守り」の黒社会の調整はま
すます困難になりそうだ。 

(99年12月21日)




トップへ
トップへ
戻る
戻る