■■ ポスト李登輝の台湾<1> ■■ 2000年03月19日

長期腐敗の国民党に「ノー」
若年層が「世代交代」渇望


 「政権交代」というより「世代交代」だった。総統選挙の最後を飾る天王山、十七日夜の台北中山サッカー競技場で行われた陳水扁陣営の総決起集会は競技場外も若者であふれ返り、特設の巨大スクリーンを前に「アピエン(阿扁=陳水扁氏の愛称)、トンスイ(当選)」の大合唱。四十万人を超える熱狂的な支持者たちがスタジアム三階、屋上まであふれ、立すいの余地もない。

 午前中の雨でぬかるみだらけの場内は、泥だらけになりながらジャンパー、ジーパン姿の若者が七割以上を占める。手作りのステージにはレーザー光線を使った若者らしい演出や花火、青少年たちのフレッシュなダンスなどが展開され、四十九歳の陳水扁氏の到着を熱狂的に待ち焦がれる熱気は同氏の到着で最高潮に達した。

 「当選後、民進党の党務に参与せず、李遠哲氏(中央研究院院長)に各党派による台湾海峡問題チームの結成を招集してもらう。台湾人民の総統として国家安全、台湾海峡の平和を守り、台湾の主権独立を完遂して外部からの干渉に決してのみ込まれない」――長い選挙戦で声を枯らした陳氏は与党利権で腐敗した国民党の轍を踏まず、総統職の公務に全力を注ぐ決意を支援者に訴えた。

 台湾住民に圧倒的な人気を誇るノーベル化学賞受賞者、李遠哲氏も決起集会でビデオ出演し、「新総統は黒金(マフィアと裏金)政治を根絶し、主権の尊厳と安全を護持、両岸(中台)平和を促進させる人物でなければならない。陳水扁こそ新総統に最もふさわしい」と強調、映像にもかかわらず、支持者らは総立ちしたままエールを送った。

 陳氏の支持者は大学生、二十−三十歳代の若者、中小企業勤務者、学者などが圧倒的に多い。今回の総統選挙では有権者の半数以上が若年層であり、圧倒的な若者層の陳氏支持が「政権交代」の原動力となり、「世代交代」を生み出した格好だ。

 十八日午前、陳氏夫婦は自宅近くの小学校へ投票に出かけた。政治テロによる交通事故で車いす状態の呉淑珍夫人は日ごろより顔色が優れ、夫の政治的英断を陰で支えた苦労が報われたような笑顔。陳氏は投票後、自宅近くを歩くと、住民から次々とサインを求められた。

 自宅は民生東路四階の安いアパートの一階。夫人の車いす生活を配慮したものだ。玄関前にはポツンと警備員が待機しているだけで、とても次期総統が住んでいるとは思えない場所だ。陳氏の魅力は、台湾庶民と苦楽を共にする姿勢。「総統に就任しても自宅は変わらない」と語っている。

 半世紀を超えて台湾を支配した与党・国民党は、巨大な党資金の透明化という庶民の要求にこたえられなかった。豊富な資金力に物を言わせた選挙戦が象徴する黒金政治に対し、大半の台湾住民が「ノー」を突きつけた形だ。

 だが、陳次期総統の大陸政策、行政手腕は台北市長時代の実績だけでは未知数だ。経験の浅い若者や行政スタッフが政権実務者に入ってきた場合、理想主義が先行して難題が山積する可能性もある。

 四年間の任期満了までどこまで台湾民主化が実現するか、また中台関係はどう展開するのかなど、台湾住民の期待と不安が同居している。十七日夜の連戦支援集会で「中華民国 万歳」と叫んだ李登輝総統は、民主的な総統選挙を初めて実現した。しかし結果的に、台湾独立志向の強い陳次期総統の道を整えたことになった。(台北・深川耕治)



■■ ポスト李登輝の台湾<2> ■■ 2000年03月20日

政界大再編が始まる
李登輝党主席9月辞任表明
国民党存亡の危機に


 「新政党を結成しよう」――今回の台湾総統選挙で約三十一万票(二・四%)の僅差で第二位だった宋楚瑜・台湾省長の陣営は、惜敗の悔しさを抑えきれず、十八日夜、支持者たちが涙を流しながら「新政党の結党」を何度も声高に訴えた。

 李登輝総統の官邸・台湾総統府前では支持者たち約三千人が「李登輝の即時辞任を」「国賊は出ていけ」と大声で訴え、けが人も出る大騒ぎにまで発展。深夜三時前後まで続いた「反李登輝」デモは宋氏の支持者だけでなく、一部は連戦支持者も含まれ、選挙敗北への怒りが国民党支持者にも噴き出している。

 宋氏は「陳水扁氏の新総統決定を心から支援する。支持者は冷静に見守ってほしい」と反国民党の感情が沸騰する支持者らの激情をいさめた。

 宋氏と新台湾人服務団体の劉松藩・総団長らは同夜、選挙本部に帰って話し合った結果、支持者たちの熱烈な結党願望に応え、新政党結成を決定した。

 十九日、宋氏は選挙対策本部で記者会見し、「新政党『新台湾党』を結成する。五月の国民大会代表選挙に初参加する」と表明した。「最大野党」となることはほぼ確実だ。

 宋氏が結党すれば、これまで五十年以上の単独政権を取り続けた国民党は第三党に転落し、台湾政界は大再編が急速に進むことになる。

 現在、立法院(内閣)の立法委員(国会議員)の各党派割合は国民党が百十七議席、民進党が七十一議席、新党(十議席)、無所属(七議席)、超党派連盟(十五議席)の配分だ。陳水扁・次期総統が率いる民進党は立法院の中では少数与党となり、議会運営は非常に厳しくなる。

 国民代表(総統・副総統の職権に対して罷免権を含む監督権を持つ)についても全体の二百二十五議席のうち、国民党が最大勢力だった。今後は宋氏が旗揚げする新政党の誕生、五月の国民代表改選選挙で政界地図は大きく変わる。

 しかし、国民党の議席数が今回の宋氏による新政党旗揚げで分裂すれば、従来の国民党、民進党による二大与野党の対立構図は三大政党に変容。陳次期総統としては、今後の政界再編の動向を見極めながら、連立与党化を推進して安定した政権運営を図ることが最優先課題となるだろう。

 本来、米大統領などに匹敵する絶大な権力を持つ総統が不安定な議会運営で“弱い総統”となってしまえば、対中国問題への安定した政策推進にも支障をきたすことになる。

 十九日午後には民衆の反国民党感情は台北市内の国民党本部前で噴き上げた。群衆は黒塗りの高級外車で行き来する国民党幹部らを取り囲み、「腐りきった国民党は出ていけ」と叫んだ。車のフロントガラスをたたき割り、総統選挙で使った陳水扁氏の応援旗を突き刺した。群衆の怒りは、長年うっ積したルサンチマン(怨恨)として当分収まりそうにない。

 国民党本部前は夜になっても、李登輝総統の早期辞任を訴える反国民党の民衆が続々と集まり、台湾警察の厳戒態勢の中でにらみ合いが続く。

 李登輝総統(国民党主席)は十九日、国民党の中央常務委員会の席上、九月行われる臨時全体代表会議で党主席を辞し、党幹部も総退陣する意向を示した。馬英九・台北市長も中央常務委員の辞任表明を行い、国民党自体が一夜にして存亡の危機に迫られている。
(台北・深川耕治)



■■ ポスト李登輝の台湾<3> ■■ 2000年03月21日

急速な改革求める住民
国民党の資金疑惑にメス入るか


 今回の総統選挙最終盤では「棄保効応(第一希望候補を棄て手堅い第二希望候補に投票する効果)」と呼ばれる台湾住民独特の投票心理が陳水扁・前台北市長や宋楚瑜・前台湾省長に幸いした。とりわけ接戦を制した陳氏最大の勝因は国民党の金権体質に三くだり半を突き付けたノーベル化学賞受賞者の李遠哲・中央研究院院長の支持の影響が大きかった。

 昨年末、陳次期総統が発刊した自著「台湾の子−私の成長歴程、経営哲学と国家ビジョン」(晨星出版)の最初のページには李遠哲氏が陳氏に向けて書いた「困難の中で成長する人こそ、最も美しい理想がある」という意味の揮毫(九九年十一月記載)が載っている。台湾随一の科学者は投獄を何度も強いられながら民主化、黒金政治(裏金とマフィアによる政治)の一掃に燃える陳氏の揺るぎない理想を高く評価したのである。

 李遠哲氏は台湾政治週刊誌「新新聞」最新号(三月十九日)のインタビューで「韓国では全斗煥元大統領や盧泰愚元大統領の黒金疑惑を新政権が徹底捜査して有罪にしたが、李登輝総統に対しても国民党資金の疑惑調査で同様のことをすべきか」との質問に、「人が病気になれば、どこが問題か掌握することが先決」とした上で「私は新総統が以前の権力者を裁くウィッチ・ハンティング(政敵の迫害)を絶対的に望まない」と答えている。

 十八日夜から国民党本部や総統府前で民衆が李登輝総統をののしり、国民党幹部の車を破壊する行為が続くことに李遠哲氏は眉をしかめる。陳次期総統が入閣を打診しても「気持ちは痛いほど理解できるが、私は学問が本業」と明確な回答を避け続けている背景は、選挙後の民衆や政界の動きを見極めようとしているからだ。

 総統府直系のシンクタンク「中央研究院」のトップだった李遠哲氏は陳水扁支持を表明した際、「李登輝総統が黒金政治を刷新することに期待していたが、結局は実行せず、失望した。黒金政治を一掃できるのは陳氏しかいない」と語っている。

 李登輝総統が初めて対外的に主張した二国論で中国と対等に渡り合っていることで、有権者はかえって対外的な「安定カード」を最優先する必要性を感じず、李遠哲氏が内政刷新を強調する「金権腐敗政治との決別」を支持したとみられる。

 敗北した台湾の国民党は「世界で最も豊かな政党」の一つといわれる。だが、国民党の資金については今まで公開されたことがない。同党は党自身が企業を経営し、投資活動を行う世界の政党の中でも珍しい体質を持っている。この体質が五十年以上も続き、資金が不透明であることが審判された。

 一九四五年に台湾を接収した国民党は、日本が残した財産、公的資産を接収し、それを元手に党営事業や株式投資で資産を拡大した。日本が残した財産、公的資産は本来、「中華民国」政権が接収すべきものだったが、国家と政党の区別が明りょうでなく、国民党資産を築き上げる基盤になった。

 連戦副総統は国民党資産の信託化を公約、李登輝総統も「『優れた民主』を確立するには、政党間の公平な競争が必要。政党が直接事業を経営、投資することで国民に疑いを生じさせてはならない」と述べ、全面的に支援する姿勢を示した。だが、内政部は結局、総統選挙前までに党営事業中止、資産の委託を完遂できなかった。

 国民党が党資産の信託化方針を明らかにしたことに対して、最大野党・民進党は党資産公開が行われた。一月五日、民進党秘書長の発表では民進党所有の不動産は一億五千二百万台湾j(約五億四千万円)、動産は八千九百十一万台湾j(約三億二千万円)。こういう国民党より素早い資金公開が民進党の陳氏に好感を抱かせた。

(台北・深川耕治)



■■ ポスト李登輝の台湾<4> ■■ 2000年03月22日

陳氏、北京に対話呼びかけ
「三通政策」見直し約束
積極的対中政策展開へ


 民主進歩党の陳水扁・前台北市長は十八日の投票後、会場となった自宅近くの小学校で内外記者との会見に応じ、早々と北京当局に対話を呼び掛け、自ら会談に赴く考えのあることを示した。

 会談場所として、「北京、上海、この両都市が不可能であれば、香港、東京、シンガポールいずれかで中国当局者と話し合う」と述べ、加えて、対台湾民間窓口機関である海峡両岸関係協会の汪道涵会長、さらに後日、江沢民国家主席の台湾訪問も促した。

 この大胆な提案に中国当局が反応するにはしばらくの時間が必要だった。なにしろ、選挙期間中、中国当局が最も攻撃してきたのが陳氏だったからだ。十八日に形ばかりのコメントを出した後、二十日になって江主席が、「『一つの中国』の原則を受け入れるなら、中台首脳の相互訪問は可能だ」と前向きの見解を示した。

 これを受けた陳氏はさらに二の矢を放つ。「一つの中国」は原則や前提でなく「議題」であるとした上で、台中間で「話し合えない議題はない」と述べ、「一つの中国」も議題としてなら話し合う用意がある、と突っ込んだ返答をした。

 「台湾のことは台湾住民が決める」と繰り返してきた陳氏の従来の主張からすれば、極めて柔軟で現実的な対応だ。

 台湾生まれの本省人(台湾人)である陳氏は、台湾と中国との関係を「二つの国家間の特殊な関係」と位置づけ、「台湾は『中華民国』を国号とする主権独立国家」だと主張してきた。

 しかし陳氏は、李登輝総統の「二国論」を憲法に入れることもなく、「台湾の独立」も持ち出すことはないと言明し、事実上「台湾独立」を棚上げした。民進党でも、政権党となることを控えて、「台湾共和国の樹立」条項を党綱領から削除する件の検討に入っている。

 この転換は、陳氏の得票率が四〇%未満にとどまったことと無関係ではない。この数字には台湾住民の“絶妙なバランス感覚”が反映している。

 つまり、国民党の長期腐敗政権には「ノー」を突きつけながらも、「台湾独立」といった急進的な主張にもブレーキをかけた格好で、陳氏の政策もこの“民意”を反映したものとならざるを得ないわけだ。

 一方、中国側が条件付きながらも、対話姿勢をとっていることも注目される。今回の選挙中、中国は「文攻」(言葉による攻撃)に終始した。四年前の総統選、台北市長選では、具体的な軍事行動をとって緊張を生み出し、台湾有権者の投票行動に強い影響を与えた。市長選で現職ながら落選の憂き目にあったのは陳氏本人である。

 中国はその代償として米国との緊張を招いた。今回、「世界貿易機構(WTO)加盟を控えて、対米関係を考慮した」(行政院新聞局関係者)との見方が支配的だ。

 軍事的どう喝をとらずに、北京当局がもっとも当選を阻止したかった陳氏が総統になることで、北京当局内で今回の“干渉戦略”の是非が問われる可能性もある。

 だが、まったく逆に、軍事的どう喝をしなかったことが“けがの功名”か“深謀遠慮”かは別にして、結果として陳氏との対話の可能性を残すことにもなった。

 路線を大胆に変えて、自ら会談に出向くと“先制攻撃”した陳氏に、「われわれは台湾で権力の座に就いただれでも、大陸に来て対話することを歓迎するし、われわれも台湾に行くことができる」(江主席)と答え、前向きな応答をしているのだ。

 この背景には、陳氏の積極攻勢に対して守勢に立たされることを北京当局が嫌ったこと、対話をければ、陳氏の任期中の台中関係の進展が望めなくなる−などの判断があったと言われている。

 選挙戦終盤で陳氏有利を決定的にしたのが、李登輝総統の“側近中の側近”長栄グループの張栄発総裁らが陳氏支持に回ったこと。当選後、陳氏は張総裁と会談し、張氏から「三通(通信、通航、通商)の即時実現」と「急がず忍耐強く」を骨子とする対中慎重論の撤回を求められている。

 これに対して、国家安全の前提のもとで、陳氏は現行の硬直化した三通政策を再検討することを約束し、積極的な対中政策を展開していく考えを示した。

 最も慎重な大陸政策をとるとみられていた陳水扁氏の任期中に、台中関係は大きく進展する可能性も否定できない。


(終わり=深川耕治)