連載 北京五輪と中国



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北京五輪と中国 (9)

同化進行する内蒙古

文革の爪痕、下放世代の心に

picture 内蒙古自治区の草原にはパオ(移動式住居)が並ぶ

 北京生まれの張国瑞さん、李慧琴さん夫婦は文化大革命の時代、内蒙古(=内モンゴル)に下放(毛沢東の指導で知識青年や幹部が長期にわたり農山村や工場で肉体労働し、思想改造を図りながら社会主義建設に協力する活動)された時、労働現場が偶然同じになって知り合い、北京に戻った後に結婚した。

 下放された一九七〇年当時、張さんは高等専門学校を卒業して二十二歳。李さんは中学を卒業して間もない十六歳だった。下放された場所は内蒙古自治区錫林勒格草原正藍旗。現在の区都・呼和浩特(フフホト)から牛車で三週間かけてようやく到着した。

 「草原があるだけ。稗(ひえ)や粟(あわ)、まずいトウモロコシ麺(めん)で飢えをしのいだ」と李さん。眉間(みけん)にしわが寄った。夏は太陽の日差しが強く、冬は凍傷にかかる人が続出する。毎朝、羊や牛の乳を搾り、一人当たり三百頭から五百頭の牛や羊を任されて一人で牧草地まで連れて行き、戻って来る繰り返しの生活だった。

 下放された場所に四十人の男性班の一人としてやってきたのが夫となる張さんだった。年が六歳も離れていて、肉体労働で助けてもらったことしか覚えていない。「働かざる者食うべからずで、恋愛感情など生まれるような環境ではありませんでした。北京に戻り両親が結婚を勧めてくれたので一緒になったのです」
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 当時、内蒙古に下放された上海、北京、天津などの知識人青年らの多くは内蒙古の女性と結婚。だが、文革が終わり、北京に家族で戻ると、内蒙古の生活習慣と漢族の生活習慣の違いから知識人青年の両親が内蒙古の慣習を嫌い、離婚するケースが多かったという。子供がいる場合、北京などの大都市の大学へ優先的に入学できた。

 内蒙古自治区創立六十周年を迎えた二〇〇七年、両親が離婚した世代の蒙古族が三十代、四十代となり、自治区の振興の中心世代となっている。

 約四十年ぶりに内蒙古に夫婦で旅行した李さんらは自治区の発展ぶりに時代の変化を肌で感じた。李さんは言う。「毛沢東の最大の過ちは文化大革命。紅衛兵が知識人を自己批判させ、学問に打ち込みたい熱情が高い二十歳代に空白の十年間を強いられた傷跡は限りなく大きい」

 内蒙古自治区巴音錫勒草原で生活する蒙古族の烏日根(ウリゲン)さん(25)はパオで生まれ、育った。両親を説得して都会に出たい夢があるという。内蒙古自治区では蒙古族が全体の約20%で残りはほとんどが漢族だ。両親の世代は蒙古族同士の結婚を願い、蒙古族の文化、伝統を第一優先に考える価値観が強い。しかし若い世代は漢族との結婚をむしろ望み、都会に出て一旗揚げたいと願う者が増えた。

 中国の少数民族優遇策として、両親のうちいずれかが少数民族の場合、その子供は少数民族として認知され、大学進学時も入試合格ボーダーラインが漢族よりも10ポイント低い点数で合格できる。「だから、漢族との結婚も子供の教育のためにはいいと思うが、両親の世代とギャップが生じている」という。

 少数民族は一人っ子政策が免除される。多産が奨励されることも漢族との結婚が増えている理由の一つだ。同じく内蒙古自治区で牧畜業を営む錫林さん(27)は「年々、外国人観光客が増え、副業で観光客相手の商売も儲(もう)かるようになった。両親の世代までは、『蒙古族は商売しない遊牧民族としての誇りを持て』とアレルギー反応が強い。でも生活を豊かにするには仕方がない時代の変化」と割り切って、草原でのモンゴル相撲や乗馬の指導をするようになった。

 モンゴルの首都ウランバートルからの国費留学生の烏日斯哈楽(ウリスハル)さん(23)は内蒙古自治区で生活して五年。モンゴル出身の大相撲力士名はすべて日本語で諳(そら)んじる。「モンゴル相撲に日本人観光客が参加してくれると、深い友情関係を感じるんです。言語的にも日本語とモンゴル語は近いので、モンゴル人は日本語を覚えるのが早いですよ」と話す。この大草原は確かにモンゴル国につながっている。

(中国内蒙古自治区ウランチャブ=烏蘭察布=・深川耕治、写真も=07年9月18日記)




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