中国関連記事 特選

2008年3月15日記 最新中国株情報 WINTRADE


  • 見出し一覧(戻る)
  • 香港情報
  • 台湾情報
  • マカオ情報
  • 中国指導者 WHO'S WHO









ラサ暴動「少なくとも30人死亡」 チベット亡命政府
当局は威嚇発砲 僧侶デモ制圧で不満爆発
チベット動乱49周年の抗議デモが発端


 中国チベット自治区ラサの僧侶らによる大規模暴動(写真=CCTV4の映像写真)から一夜明けた3月15日、ラサ市内は人民解放軍が装甲車を投入して進駐したことで破壊活動が終息し、厳戒態勢を敷くことで表面上は社会秩序は平穏に向かっている。新華社電によると、14日のラサ暴動でホテル従業員や商店主ら商業関係者ら少なくとも10人が死亡。武装警察隊がが日本人観光客3人を含む580人を救出し、外国人死傷者はいないとしている。(深川耕治=08年3月15日記)


 インドのチベット亡命政府は15日、ラサでの暴動について「確認できる死者数は少なくとも30人」とし、「約100人に達したとの未確認情報もある」との見解を示した。3月15日付の香港各紙は多数の死傷者が出たとの現地目撃情報を報じている。

 新華社電によると、暴動は14日午後1時ごろから始まり、ラサ中心部の市街地で警官隊と衝突して投石や放火を開始。ジョカン寺(大昭寺)の周囲や電力・通信設備など同市内百60カ所以上を破壊し、多数の商店やホテル、車両などが放火された。鉄パイプや木刀、ナイフを持った暴徒によって多数の警官が重傷を負い、火炎瓶や石などをリュックサックに詰めて背負った者が多数目撃された。チベット自治区治安当局は鎮圧のために催涙弾を使用して威嚇発砲したことも認めた。14日夜には騒乱自体は、ほぼ終息したという。

 チベット自治区当局者は「ダライ(・ラマ一四世)一派の組織的策動」と断定しているが、ダライ・ラマ一四世のスポークスマンは「事実無根」と反論している。

 暴動の発端は、中国人民解放軍がラサ市民を武力弾圧した1959年3月のチベット動乱から49周年を迎えた3月10日、ラサでは数百人のチベット人僧侶らがチベット独立を要求するデモを展開し、当局に鎮圧されていたことが大きい。

 今回の暴動は1989年の発生したラサでの暴動以来、最大規模。チベット仏教は中国内ではチベット自治区以外に青海省、内モンゴル自治区、新彊ウイグル自治区内のチベット族区、甘粛省南部、四川省西部、雲南省北西部など一大宗教圏として波及しており、中国全土のほぼ三分の一の面積を占める。チベット族以外に蒙古族、トウ族、シボ族など十数の少数民族にも広がっており、宗教人口は一千万人を超える。

 チベット動乱では人民解放軍がチベット人が居住するラサで市民らを武力弾圧し、ダライ・ラマ14世がインドに亡命してチベット亡命政府を樹立せざるを得なくなった。香港紙「明報」(3月15日付)によると、チベット僧侶らは3月11日から3日間連続で10日のデモで拘束された僧侶らの釈放を要求する抗議活動を継続。

 14日のラサ暴動では三百人のチベット人僧侶や青年らが寺院付近をデモ行進中、警官隊と衝突し、放火が拡大した。ラサ大学の学生が率いる約4000人のデモ隊が市内をいくつかに分けて抗議活動。絶食や焼身自殺の構えを見せるなどして拘留中の僧侶釈放などを求めた。台湾の中央通信社電によると、同日午後二時ごろ、チベット寺院のラプラン寺のある甘粛省夏河県でも15人のラマ僧侶(チベット仏教僧)と約200人のチベット族が棍棒などを持って抗議活動し、警官隊と衝突したという。AFP電によると、翌15日も夏河県で僧侶らによるデモが発生し、警官隊が催涙ガスを使って排除した。

  チベット自治区トップを務めた経験のある胡錦濤総書記が中央軍事委員会主席に再選されたとほぼ同時期に発生したチベット暴動や一連のデモ抗議活動は北京五輪を控え、国際的な五輪ボイコット運動にもつながりかねず、胡総書記の指導力が問われる厳しい国際的視線にさらされそうだ。

【チベット動乱】 中国建国後の1951年、チベットに進駐した人民解放軍がチベット住民を中国共産党一党独裁の元での自治管轄に入るよう求めたことに対してチベット住民が反発、対立が激化する中、1959年3月10日、解放軍が無抵抗のラサ市内チベット住民に対して武力で弾圧した事件。軍による無抵抗市民の武力鎮圧により、ダライ・ラマ14世がやむなくインドに亡命し、チベット亡命政府を樹立した。1965年、中国領としてチベット自治区が成立したが、漢族によるチベット族の強権統治に不満がくすぶり、たびたび、僧侶らがデモを行って投獄されている。ダライ・ラマ14世と中国政府はその後、1979年から1994年まで対話を行ったが、決裂中断。2004年に再開されたが、中国政府の強行姿勢が加速し、ほとんど成果を上げていない。

【チベット自治区をめぐる動き】
1951年9月 中国人民解放軍がラサに進駐
1959年3月 チベット動乱でダライ・ラマ14世がインド亡命。亡命政府樹立。
1965年9月 チベット自治区成立
1989年1月 チベット仏教指導者パンチェン・ラマ10世死去
1989年3月 ラサで大規模暴動、戒厳令発令
1989年12月 ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞受賞
1990年5月 ラサの戒厳令解除
1993年4月 ダライ・ラマ14世が訪米し、クリントン米大統領と会談
1993年5月 ラサで暴動
1995年11月 中国政府がパンチェン・ラマ10世の後継者を決定
2000年1月 チベット仏教の活仏カルパマ17世、インドへ出国
2000年6月 中国が初のチベット白書を発表
2003年11月 ダライ・ラマ14世、チベットに「一国二制度」適用認める
2006年7月 チベット〜青海間のチベット鉄道が開通(写真右)
2007年10月 米議会、ダライ・ラマ14世に勲章授与。ブッシュ米大統領も参席
2008年3月 ラサでデモ発生後、治安当局の弾圧で暴動

【ラサでの最近の動き】(08年3月10日〜15日)
3月10日 デプン寺の僧侶ら約500人がデモ。地元警察当局が僧侶らを連行
3月11日 セラ寺の僧侶約600人が抵抗活動。武装警官隊が催涙弾を使って鎮圧
3月12日 セラ寺の僧侶がハンガースト
3月14日 ジョカン寺で400人が抗議活動後、警察当局が主要三カ所の寺を封鎖。群衆が商店や政府建物を襲うなど暴徒化
3月15日 チベット自治区政府が死者10人と発表。警察当局は自首呼びかける

チベットの活仏制度 チベット仏教の高僧後継者の認定制度。活仏は「高僧の生まれ変わり」の意で、後継者となる子供は選定委員会が選び、最高指導者ダライ・ラマが承認して決定する。この伝統を拒否する中国政府は独自に活仏を決め、チベット仏教の継承伝統の根幹を揺るがす根深い対立が生じている。

暴動から一夜、平穏さ徐々に ラサ市内
装甲車や軍車輌が進駐
全焼車体、あちこちに


 香港のテレビ局TVBは08年3月15日夜、中国チベット自治区ラサ市内の同日の現状を映像と共に現地取材記者が紹介し、14日の暴動で全焼した一般車両が中心部道路脇であちこちに散乱しながらも市民生活は平常にもどりつつあると報じた。

 15日、ラサ市中心部の商店街はすべて臨時閉店でシャッターが下ろされ、全焼した一般車輌は幹線道路脇にひっくり返ったままで処理されていない。武装警官が一般車輌や通行人をチェックする姿が映像でも確認された。現地タクシー運転手は14日の騒乱について「午前十時ごろ、数百人の暴徒化した人たちが鉄パイプやナイフを振り回し、車は破壊された。多数の人々が殺された」と話している。

 また、香港のテレビ局ATVは3月15日のニュース番組で3月14日のラサ暴動の現地映像を放送。僧侶や暴徒と化した人々が鉄パイプやハンマー、鍬などを持ってラサ市内の中国銀行分店や商店のショーウインドウを破壊し、警官隊に投石したり、放火する姿が映し出されている。3月15日のラサ市内は人民解放軍の軍車輌や装甲車が急派され、中心部の政府関係施設や主要寺院に進駐している姿も紹介された。(深川耕治=08年3月15日記)








最新中国株情報 WINTRADE

日本に居ながら、中国IPOを100%ゲットする方法