中国関連記事 特選

2012年12月14日記


  • 見出し一覧(戻る)
  • 香港情報
  • 台湾情報
  • マカオ情報
  • 中国指導者 WHO'S WHO









習氏、改革開放継承で親民路線 中国
国内初視察、広東省を南巡

軍視察で鼓舞、強兵強行も

 中国共産党の習近平総書記は12月7日から11日までの5日間、深セン(土ヘンに川)を皮切りに広東省各地を視察し、改革開放路線を堅持するため「南巡講話」を行った鄧小平氏ゆかりの各地を訪れた。団派とも挙党結束し、党幹部視察時の過度な交通規制を撤廃する親民路線をとり、軍を3度訪問して新指導者として求心力強化に腐心している。(深川耕治、写真も=2012年12月13日記)

鄧小平ゆかりの地を訪問
団派との協調どこまで
父親復権の地、正当性強調

 8日、広東省広東省深セン市内を視察する習近平総書記
 「かつて香港は広東に多大な影響を与えた。現在、香港と深セン、広東省が協力し、共同発展する段階に入った」「真っ白のキャンバス(ゼロ段階)からスタートしたが、一幅の美しい最良の絵になった」。
 12月7日、北京から空路、深セン空港に到着した習近平総書記は、最初の視察地として同市内西部にある前海深港現代服務業合作区(海外企業の誘致を目指す深センと香港の共同経済区)を訪れ、「前海」と刻まれた石碑の前でこう語った。

 1992年、鄧小平氏が深センを訪れて「南巡講話」を行って20周年を迎え、習氏は党最高指導部として「南巡講話」精神を継続堅持することを再度確認、総書記就任直後の最初の国内視察地に広東省深センを選んだ。

 改革開放路線による大発展を遂げた深セン経済特区だが、沿海部と内陸部の格差、腐敗など矛盾や難題をはらむ中、鄧小平路線の継続堅持、富国富民の新開拓を強調し、貧富の格差是正のための「共同富裕」を訴えたのは「矛盾を打開する第二の改革開放を打ち出す時期を迎えている」(中央党校の張希賢教授)表れだ。

 広州戦区の某舞台を視察し、戦車の上に乗って中山服姿で説明を聞く習近平中央軍事委主席(総書記)
 7日午後、習総書記は続いて同市南山区にあるインターネット企業「騰訊」を訪問。この時も厳しい交通規制や横断幕を使った派手な大衆動員はなかったが、習氏の訪問情報が流れた直後から同社株は急騰した。

 総書記就任直後の国内視察訪問地をどこに選ぶかは中国最高指導者として政治的に重要な意味があり、胡錦涛国家主席は総書記就任直後に党の革命記念地である河北省石家荘市平山県の西柏坡村を視察。建国直前、党中央委員会が置かれた西柏坡村を訪れることで中国共産党の革命伝統に敬意を表し、党指導部の権威と求心力強化を図った。

 習総書記は自らの指導方針として党幹部の国内外視察時、赤絨毯を敷いた過度な歓迎や横断幕を自粛するよう指示。宿泊場所も歴代最高指導者が宿泊していた深セン迎賓館ではなく、市政府を訪問する外国人客が泊まる五洲賓館に宿泊している。深セン到着時、特別な交通規制や横断幕による歓迎はなく、今回の国内初視察でも党幹部の汚職腐敗一掃のイメージアップを促す狙いがあると見られている。

 習総書記は12月8日、十数人の部下を率いて同市羅湖区にある漁民村の住民宅を訪問後、蓮花山にある鄧小平像前で献花した。漁民村の周囲には武装警官などの物々しい厳戒警備は行わず、現地住民の外部への往来も規制されなかった。

習近平総書記の広東省視察には汪洋広東省党委書記(左端)が同行した。太子党と団派の表向きの協調とも見える
 漁民村はかつて水上生活者たちが起こした貧しい漁村だったが、鄧氏の改革開放路線によって深センが経済特区となり、同村は急速に発展。1983年に鄧小平氏が視察し、万元戸村(年収1万元<1元=12円>以上の所得者が多い村)として有名になった村だ。

 習総書記の父、習仲勲元副首相は広東省トップの省党委書記時代、経済特区構想を進めた立役者。晩年は深セン市内で暮らしていた。習氏の母・齊心さん(86)は現在も深セン市内在住だ。

 軍トップである党中央軍事委主席に就任したばかりの習氏は今回の広東省視察期間、3回にわたって軍を視察した。中国中央テレビによると、8日、深セン市蛇口港から南海艦隊所属のミサイル駆逐艦「海口」に乗船し、視察後、艦員らと昼食を共にした。8日と10日、広州戦区の部隊を視察した習氏は戦車にも乗り、「戦争に必ず打ち勝てることが強軍の要。国防、軍隊建設に関する18回党大会の戦略を実行し、革命化、現代化、正規化を全面強化しよう」と激励。「中華民族の偉大な復興実現は近代以来の偉大な夢であり、強国強軍の夢だ。富国強兵を統一し、国防と軍隊建設に力を入れる」とも述べ、軍事強化は尖閣諸島をめぐる対日強硬路線の継続にもつながりそうだ。

 軍の視察には範長龍中央軍事委副主席、呉勝利海軍司令、王冠中副総参謀長らが同行した。

 習総書記は、12月9日には同省珠海市内のリゾート施設やマカオと接する拱北税関、同市内のマカオ大学横琴キャンパスを視察後、順徳市農村部の貧困家庭を訪問。汪洋同省党委書記を伴い、同市内の工業デザインパークや博物館を巡った後、12月10日に広州入りした。

 今回の広東省視察では、胡錦濤国家主席の信頼が深い共産主義青年団派(団派)で改革派のイメージが強い汪洋党委書記が同行したことで権力闘争では江沢民派と対峙(じ)する団派とも良好な関係を保つスタンスを見せている。香港誌「亜洲週刊」によると、汪洋氏は工業担当副首相になることが内定し、広東省党委書記への就任が決まっている団派の胡春華内モンゴル党委書記との引き継ぎに時間がかかっていた。汚職取り締まりをめぐり、現時点では団派との関係がどこまで修復するか、予断を許さない。視察には中央から栗戦書中央弁公庁主任や王滬寧中央政策研究室主任も同行した。

 広州は習総書記の父、習仲勲氏が文化大革命で副首相から党職をすべて解任された後、1978年に広東省党委第二書記として復活し、広東省の党や軍を握る指導者となった名誉回復の地だ。正当な党最高指導者としての権威づけには太子党(党幹部師弟)である習総書記にとって広州視察は必要不可欠だった。