亜洲週刊カバーストーリー

2008年6月29日号 カバーストーリー(翻訳=深川耕治)

香港こそ釣魚台守る首都たれ
尖閣諸島奪還へ中台と連携

 香港人が釣魚台(日本名・尖閣諸島)の防衛を忘れないためには過去の記憶の断層を再び蒸し返さず、未来の歴史に禍根を残させてはならない。香港はグローバルな釣魚台防衛を続ける市民運動の首都だ。釣魚台問題が騒がれるたび、香港人は欠席せず、消極的でもない。なぜなら香港は自由都市であり、全世界の華人の力を結集し、他都市の抑圧されたエネルギーを爆発させる潜在力がある。

 香港も釣魚台防衛で最初の犠牲の血を流した。一九九六年、先兵となった陳毓祥氏が釣魚台水域で身を投げて水死し、彼の遺体が香港に戻った際、五万人以上の香港人が追悼集会に参加したことは香港史上、決して追悼の灯火が消えることはない。

 香港ではデモが抑圧されることはなく、北京のような破天荒なデモ抗議のような形式でもない。香港政界を見ると、中華民族主義は左派と右派の対立を最も超越させやすく、反共、容共の違いを超えることができるものだ。北京政府に反対する香港民主派の中でも、司徒華氏、何俊仁氏、梁国雄氏、曽健成氏、張文光氏など多くの重要な民主派指導者は、すべて中華民族主義者だ。

 彼らの出身系列や政治手法はそれぞれ違うが、「中国」に対して畏敬の念がなくても長年にわたって釣魚島(日本名・尖閣諸島)の主権を主張するのに苦労を惜しまない点では完全に一致している。彼らは「中国」が中国共産党であれ、どんな党派であれ、釣魚台の未来を壟断できず、それぞれの中国人の努力を繋いでいくものだ、と信じているのだ。

 香港は中国の心理的な版図では重要な位置を占める。両岸(中台)当局は現実政治の利益を優先して日本と妥協する時、香港の中国人は「NO」と言える。日本軍が釣魚島水域を事実上、実効支配していた一九九〇年代、香港のタクシー運転手・陳裕南氏は九六年に釣魚島に上陸して五星紅旗(中国国旗)を掲げた事実は中華民族史の輝かしい一ページを刻んだ。民間の力が公権力の不足を補い、一般庶民の自力救済で不利な状態を挽回した。

 九〇年代、香港を出発した釣魚島の主権を訴える“長征”は活動メンバーの多くが北米華人。七〇年代の米国留学組の中でも急進的な釣魚島の主権を訴える者たちで、若いころの情熱を蘇らせた。香港は歴史上、清朝末期の革命基地であり、天安門事件の再評価を求める追悼キャンドル集会を行う中国史上、重要な動力であることに変わりはない。(香港誌「亜洲週刊」08年6月29日号・邱立本編集長の巻頭コラム=翻訳=深川耕治)